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カトマンズ

2010年02月11日 21:18

どーも、生きていたWAKUです。


明けましておめでとうございます。

そして、心配かけてすみませんでした。


12月23日にネパール入国。


国境のカダリからトラックの荷台に載せてもらい、首都カトマンズへ向かう。

ドライバーのCさん、めちゃくちゃ優しいのだが、ハンドルを握るとスピード狂に変身。

ガタガタのクネクネの山道を100km/h近いスピードで走る。

カーブで大型バスと正面衝突しそうになったときは、マジで笑えなかった。


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↑トラックの荷台から。更に顔が大きくなった気がする。

そんな感じで4時間、何度も振り落とされそうになりながらカトマンズ到着。



ここでは前回お世話になった「FUJI HOTEL」に泊まる。

みんな俺のこと覚えててくれてて、スペシャルディスカウントで部屋代を半額にしてくれた。


その夜はホテルのオーナーから火が点くほど強いお酒を頂き、同席していた日本人に気に入れられて晩ご飯に誘われた。

名前はTさん。

ネパールで活動する某NGO団体の一員らしく、国際協力とは何か?という話で盛り上がった。


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↑毎度お世話になってるタメル地区。


【今夜のお・か・ず】

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↑ダルバート(約120円)とモモ(約60円)

ダルバートはご飯・豆のスープ・漬物・カレー各種でマジうまい!!この値段でおかわり自由!!

モモはチベットの蒸し餃子でマジうまい!!




そして何もせずに1週間が過ぎ、大晦日。

悔しいけど日本人として育った俺、日本食レストランへ年越しそばを食べに行く。

そこで出会ったネパール人Iさんと仲良くなり、バーで飲むことに。


そして日本が新年を迎えて盛り上がってる頃、俺は風俗店にいた。

何件かバーをはしごして行き着いたところがそこだった。

流れても良いやと思っていたけど、やっぱり厳しく。

Iさんに「女を買うためにネパールに来たわけじゃない。」と告げると、案外素直に了解してくれ、別のバーに連れて行ってくれた。

きっとこれも彼なりの“おもてなし”だったのだろう。

何がともあれ、良い社会勉強になったのは確かだった。


次のバーでカウントダウンを向かえ、年越しの瞬間は思いっきり一人ジャンプ!!

特にジャンプをする理由はないけど、毎年やっていることだから突っ込まないでくれ。


そのバーでIさんと別れ、たまたま仲良くなったイギリス人2人と別のクラブで飲み、明け方ホテルに戻って就寝。



翌日の夕方に目を覚ますと、街中がやたらうるさい。

オーナー曰く、路上封鎖ライブをしているとのこと。

ということで、行ってみた。


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↑タメル地区が大フィーバー!!

なんとなく、そして頑張って前列へ進むと所々輪がある。

何だろうと思って近寄ると、輪の中でダンスをしているではないか!?

ということで、飛び込んでみた。

Breakin’に負い目を感じながら全力でLockin’とPopin’を披露すると、予想以上の大喝采!!

受け入れられた感じがめちゃくちゃ気持ち良かった。


そして年始はちょっくら観光。

映画「リトル・ブッダ」を見て以来、憧れているボダナートへ。

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↑世界最大のストゥーパ(仏塔)。ブッダのまなざしに、シビれます。


また帰ってくるからな!と誓ってから10ヶ月、本当に帰ってきてしまった。

ここで友達と騒いでた10ヶ月前の自分を思い出し、懐かしさを感じたと同時に少しさびしくなった。



※プライパシーの関係でセンター内の写真はアップしません。

そしてここカトマンズではHIV/AIDS関係の勉強をさせてもらった。

タメル地区からバスで北へ1時間のナランタンへ。

今回お世話になるNGOスタッフのAさんと待ち合わせをして、彼女のあとについていく。


まずHIV/AIDS感染者のケアセンター【Nava Kiran Plus】を訪ねた。

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↑日本の援助で建てられたものらしく、かなり立派。

ケアセンターの所長さんにセンター内を案内してもらう。

子供部門と大人部門があり、それぞれ別のプログラムを実施しているとのこと。

大人の場合、薬の飲み方などHIV/AIDSに関してしっかり教育を受けて3ヶ月くらいで卒院らしいが、

子供の場合、エイズ孤児もいるため増えていく一方だという。

ネパールにはHIV/AIDSケアセンターが多数存在し、卒院生が他のケアセンターで働くという「感染者が感染者を助ける」構想ができてるという話を聞いた。

というのも一般人による差別が存在するためらしい。

医者ですら差別するというし、HIV/AIDS専門の病院はネパール全土で2ヶ所しかないという話を聞いた。

一般人による偏見を改善するために学校やコミュニティなどへ出張プレゼンしに行ったりしているという。


Aさん曰く、現在ネパールでのHIV/AIDS感染者は推定7万人を超していて、増加傾向にあるらしい。

その原因としては、自分が感染者だとは知らずにSEXやドラッグを通して感染させてしまい、その感染した人がまた他の人へ感染させてしまい・・・とその繰り返し。

対策としてはコンドームの無料配布や注射針の無料交換を行ってるという。

SEXやドラッグを斡旋してると勘違いされないかと訊いたところ、やっぱり反対はあるらしい。

だけど、これ以上感染者を増やさないためにはこの方法が効果的だという。


みんな知らないだけで、日本でも爆発的に増えている。

自分は絶対ない。という保障は絶対ないという気持ちでいてほしい。

大切な人のためにも、検査することをお勧めします。


と、Aさんから忠告を受けた。

「大切な人かぁ・・・。」と、ため息をついてしまった。



次にドラッグ/アルコール中毒者のケアセンターである【Nava Kiran Alcholic Center】を訪ねる。

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↑ちょっと威圧感があった。


元ドラッグユーザーだった所長さんに話を伺う。


更生プログラムは3ヶ月。

珍しく密告・体罰ありのケアセンター。

いろんなところから反対されているらしいが、身体で覚えさせるのがこのセンターのポリシーらしい。

実際、話を聞いてるときですら説教による怒鳴り声が聞こえてくる。

厳しいケアセンターなので、やっぱり脱走者が絶えないらしい。

さらに残念なことに卒院生の約20%はまた大麻/ドラッグに手を出して帰ってくるという。

というのもネパールでは大麻/ドラッグがかなり安く簡単に手に入る。

俺もタメル地区で「ガンジャ、ハシシ買わないか」「チョコ、コカ、エル、エクスタシーいらないか」と何度も声をかけられた。


所長さんの話を聞いていて、面白いなと思ったことがあった。

大麻/ドラッグを辞めた日を第2の誕生日にして、みんなでその日を祝うらしい。

ちなみに所長さんは現在8歳だそうだ。

みんな長生きしてほしいと思った。



ケアセンターをあとにして、Aさんと食事。

そこである孤児院を紹介してもらって、翌日訪ねることに。



そして翌日、タメル地区の近くにあるネパール最大の孤児院【Barmandir Kinder Garden】を訪ねる。

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↑広すぎるからこれで勘弁。


〔1日目〕

ネパール名物のバンダ(ストライキ)に当たり、孤児院に人影無し。

〔2日目〕

幼稚園に日本人が働いてるという情報を得て、その日本人Uさんを訪ねるが忙しいみたいで「適当に園内を回ってて。」と言われる。

突然だから仕方ないかな。と思いながら園内を回ってるとやっぱり子供たちに囲まれ、戯れる。

Uさんに呼ばれないまま閉園時間になり、偶然Uさんと会い衝撃の一言。

「まだいたんだ。」

いまのは天然、いまのは天然・・・。と自分に言い聞かせる。

結局その日は話を聞くことができず。

〔3日目〕

Uさん見かけず、子供たちと追いかけっこ。

赤ちゃんルームで赤ちゃん泣かす。

そして園内にいたネパール人に声をかけられる。

カトマンズ市内の大学に通ってるR君、彼もここで育った卒園生の一人らしい。

R君に改めて園内を案内してもらい、自身の彼女まで紹介してもらった。

そしたら「明日うちに泊まりに来な!!」という。

ということで、ネパール最終夜の翌日に泊まりに行くことが決定。


ホテルに戻り、翌日にチェックアウトすることを告げるとホテルスタッフ全員が「Oh~~~!!」という返事。

24日間も滞在したからかなり仲良くなっていた。

俺もちょっと寂しかった。

ありがとう、FUJI HOTEL!!

〔4日目〕

バックパック背負って幼稚園へ。

いつものように子供たち囲まれ、追いかけられる。

遠慮のわからない小僧がいて、器物損壊・過失傷害・盗難とやりたい放題。

あまりにもひどいため、制裁を与えた。

【くすぐり限界突破の刑】

最初は喜んでたけど次第に苦しみだし、逃げようとするが逃がさず、ずっとくすぐり続けた。

結果、小僧が俺に近づくことはなくなった。

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↑子供たちにいじめられる俺。



そして結局、Uさんと1回も話ができずに幼稚園をあとにして、R君の家を訪ねる。

バックパック背負いながらギュウギュウ詰めの満員バスに揺られること1時間、ようやくたどり着く。


部屋に入った瞬間、ちょっと後悔した。

ギャングのアジトみたいなところで、俺は格好の獲物。

だが、時間が経つにつれ慣れてきて、みんな良い奴。

お酒と晩ご飯を頂きながら、おしゃべり。

みんな英語が話せるから嬉しい。

しばらくして「キメるか!?」とお誘い。

徹底拒否していたが、ケンカに発展。

家を出ようと思ったが、外は野犬が吠えてて出られない状態。

そしたら『業に入ったら、業に従えだろ!!』と言われ、返す言葉がない俺。

「一吸いだけだぞ!!」と言って、久々に吸ってしまった。

自分のポリシーを曲げてしまった。


「世界中の全人類の皆様、マジでごめんなさい。」



ずっと拒否してたから強い拒絶反応を起こし全身じん麻疹。

その発疹と俺のクソ不機嫌な顔を見て、言葉を失うみんな。

最悪の空気の中、その夜のパーティーが終了。


翌朝、のんびり起きて朝食。

一眠りすると全てリセットするのが俺の性格。

またみんなと楽しくおしゃべり。

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↑ネパールの悪友たちと。


「これもまた旅だ。」と開き直りながらも、昨夜のことを後悔。

「また0からスタートだ。」と自分に気合を入れる。

午後にはみんなに見送られながら、バスで空港に向かう。



そして旅の後半戦へ突入。

次回、サンジ以上に運が悪かったバングラデシュ編を書きます。

乞うご期待。



p.s.今週のONE PIECEには泣いてしまいました。


小暮 和久 2010,02,11 Kolkata
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ラサ

2009年12月25日 22:06

どーも、無事にヒマラヤ越えに成功したWAKUです。


今日はクリスマス、皆さんはいかがお過ごしだろうか。

俺はネパール美女とイチャイチャしている。

という、妄想を繰り広げている。



さて、今回は写真を中心にチベット文化圏での2週間を書こうと思う。

よって、重く長いがご了承ください。


12月9日に列車に乗って西寧(せいねい/シーニン)に到着。

ここでは成都(せいと/チェンドゥー)の宿で紹介してもらった「Lete Youth Hostel」に泊まった。

ここ西寧での出会いが俺の考えを変えることになる。

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↑来たどー!!西寧!!


西寧ではチベット抜けを約束したツアーメイトとの集合地点。

というのも正式にはチベット自治区はツアーを組まなければ入れないからだ。

1人でツアーを組むと1週間ツアーで約75,000円が相場。

闇ルート、つまり非合法でチベット入りも不可能ではないが、この旅では法を犯さないと堅く決めているため仲間を集めてツアーを組む方法をとった。

それでも1週間ツアーで約40,000円。

俺の1ヵ月分の予算だ。


ちなみにチベットツアーは「青海省中国青年旅社」がオススメ。

日本語を話すチベット系のNさんが優しく対応をしてくれる。


ツアーメイトが西寧に到着するまでヒマだったので街をさんぽしてみた。


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↑600年以上の歴史を持つモスク「清真大寺」


宿のスタッフもめちゃくちゃフレンドリー。

彼女たちのおかげで中国語が少し話せるようになった。


そして今回から『今夜のお・か・ず』というコーナーを設けようと思う。

R指定はないのでご安心を。

第一弾はこれだ!!


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↑大餅&羊肉湯(約220円)

味のないパンと羊肉のにおいが強烈なスープ。



ここ西寧ではチベット系の声を聞くこともできた。

彼らの“熱”を感じて俺の目が潤んでしまった。

俺は筆談した紙をその場で燃やした。

これが中華人民共和国という国だ。

それからチベット系の人々に興味を持ち、たくさんのチベット系と出会うことになる。


ツアーメイトとも合流し、楽しかった西寧に別れを告げる。


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↑出発直前の西寧駅ホーム。

そして列車に乗ってラサまで24時間ストレートで向かう。

鉄道世界最高地点の海抜5,072mを通るため無理せず、寝台クラスを選んだ。

残念ながら、うかっりして最高地点の証拠写真を撮り忘れた。


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↑中間地点のゴルムド。

ここからラサまでの15時間、喫煙を禁止される。


12月17日、ラサ到着。

DSCF4074[1]_convert_20091225193855
↑来たどー!!ラサ!!


チベット系ガイドのSさんとチベット系ドライバーのこれまたSさん、めっちゃ優しい。

その日は自由に市内をさんぽ。

DSCF4075[1]_convert_20091225194417
↑ラサの町並み。

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↑チベット仏教寺院「ジョカン寺」


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↑その前で五体倒地をするチベット仏教徒。


翌日はガイドに連れられてポタラ宮殿を訪ねる。

いつもは観光スポットを嫌うが、チベット文化に興味があるため今回は別。

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↑世界遺産「ポタラ宮殿」

ただ、俺はこの写真に写ってるあるものを見てテンションが下がった。(右下の煙ではない)


そしてその夜はガイドに誘われクラブに行くことに。

俺の日本でダンスやってた発言がきっかけだ。


クラブで出会ったチベット系のTさんとウマが合い、会話が盛り上がった。

「WAKUは良い目を持ってる。WAKUが見てきたリアルをありのまま、世界の人々に伝えてほしい。それが私の希望です。」

その人の“熱”を感じて、また目が潤んだ。


しばらくして無理矢理ステージに立たされ踊ることに。

現役の時に踊っていたLock'inを披露。

ラサは海抜約3,600m。

富士山のてっぺんでダンスをしているようなものだ。

だから、すぐに疲れた。でも、女の子にはモテた。

「一夜で何人と電話番号交換したんだよー。」とガイドに冷やかされる。

正直に言おう、4人だ。


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↑クラブというよりショーパブ。この後ステージに連れて行かれた。


そしてホテルに戻る。

が、鍵が閉まって入れない。


仕方なく真冬のラサで野宿を決行するが、ドラム王国並みに寒い。

1時間位して運良くインペルダウンの扉が開き、体を震わせながら暖かいベッドで就寝。


翌朝、部屋を出たら雪が降っている。

大将青キジ呼んだの誰だよー。

あのまま運悪く扉が開かなかったら、今頃バギーみたいになっていただろう。


眠い中、その日にヤムドック湖を経由してギャンツェへ移動。

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↑湖が青い!!空が青い!!


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↑屋上からギャンツェの町並み。


翌日、シガツェに移動。


街をさんぽしてたら、山の上に何かを発見。

何を血迷ったのか、登ってみた。


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↑こんなところを一人でロッククライム。


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↑登頂成功!!


その次の日は早起きして、サキャ経由のティンリーへ向かう。

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↑俺個人の陸地最高地点、海抜5,248m。


ティンリーは海抜4,000以上の土地だから、夜はかなり寒い。

だが、空に近い分、星がめちゃくちゃキレイだった。


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↑天然アイスリンクで遊んでたら落ちた。


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↑海抜5,150mからヒマラヤ山脈を望む俺。


翌日は国境の街、ダムへ。

一気に2,500mくらい下る。


そして最終日は国境を越えネパールへ。

イミグレーションを通り、9ヶ月ぶりに愛するネパールに入国。

詳しくは次回の日記で。



今回のチベット周遊、いろんなことを考えさせられた。


俺は中華人民政府のチベット自治区における政策をイヤなくらい感じてきた。

おかげさまで中国の五星旗が大嫌いになった。

だが、俺が政府を否定したって意味がない。

伝えたいことはそんなんじゃないんだ。


あるチベット系が印象的なことを言っていた。

「僕たちは少数派、多数派がいつも強いんだ。」


皆さん、どう感じますか?




12月23日にネパールに入国して、今は愛するカトマンズでのんびり。

ピザの無いクリスマスが無性にうれしい。


p.s.世界の屋根から見た青空。

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小暮 和久 2009,12,25 Kathmandu

成都

2009年12月09日 22:46

どーも、親知らずのせいで食事が苦痛にになってるWAKUです。


mixiよりご覧の皆さん、お久しぶりです。

こんな便利な昨日があることをついさっき知りました。



さて、成都(せいと/チェンドゥー)での2週間書こうと思う。

前回とは打って変わって、今回はネタが豊富だ。

よって、かなり文が長いがご了承下さい。


成都へは昆明(こんめい/クンミン)から列車で向かった。

自分のバイタリティーを上げるため「硬座」という、文字通りのハードなクラスを選んだ。

22時間、座りっぱなしだ。

長距離列車はウォーター・セブンで乗った海列車パッフィング・トム以来。

ではなく、タイで乗った裏マレー鉄道以来。

覚悟はしていたが、指定席で揺れもなく、列車そのものは快適だった。

だが、乗ってる中国人民が酷かった。

禁煙なのにみんなタバコを吸うから、車内が軽いボヤのよう。

ゴミの散らかし方がハンパない。

車内でタンを吐く。

夜中に爆音で音楽を流す。

トイレが世界一汚い。

などなど、中国ならではの洗礼を乗り越え成都に到着。


ここでは中国一評判の良い『Sim's Cozy guesthouse』に泊まる。

オーナーの奥さんが日本人なので日本人に大人気の宿だ。


部屋に荷物を置き、テキトーに日本人らしき人に声をかける。

やたら大学の友達にそっくりな顔。

そしたら、その日本人「明治学院大学にいたよね?」

俺「は?」

なんと本人だった!!

名前はH。

大学を休学して半年間の旅に出てるんだとか。

お互いびっくり。



世界は広い。

だが、世間は狭い。



その夜、2人で飲みまくったのは言うまでもない。



今回、成都では目的が2つあった。

・新しいカメラを買うこと。

・四川大地震について勉強すること。


まず、カメラを買いに行った。

先代のPENTAX Optio W60を探すが見つからず。

いろいろ考えた挙句、FUJIFILM FinePix Z33WPを購入。

先代に比べて機能は劣るけど、一番安かった防水カメラ。

ちなみに日本円にして約15,000円。

滝つぼに落としてから1ヶ月、カメラが手に入って大満足だった。


その1週間後、街をさんぽしてたら背中のバッグに鈍い気配を感じる。

振り向くと、白昼堂々買ったばかりのカメラを盗もうとしてる。

一気にボルテージが上がった俺。

手に持ってるタバコで奴の手に焼きを入れる。

というビジョンが浮かぶが、思い止まり、日本語でブチギレ。

相当な覇気を出していたのだろう、奴は一瞬で俺の前から逃げた。

あと気づくのが5秒遅かったら、カメラ無しの旅を決意してたと思う。





※諸事情により写真と団体名とスタッフ名は伏せさせていただきます。

そして、ここ成都ではタイで紹介をしてもらった国際NPOスタッフにお邪魔して被災地を訪ねた。


11月29日

まず、北川県を訪ねた。

成都から車で約2時間。

高速道路を降りて間もなく、大きな体育館が見えた。

九州体育館。

北川県で一番大きな体育館らしく、数万人が避難したそうだ。

体育館に収まりきれず、被災直後は体育館のまわりに沢山のテントが張ってあった。

救援物資である古着が使えず、山のように捨てられていた。

とスタッフから話をしてもらった。


次に目に見えてきたのはメチャクチャでかい工事現場。

トラクターが蟻のように動いて、高層ビル用のクレーンがボーリングのピンのように並んでいる。

新しい街を再建するらしく、6万人~8万人が移住するらしい。


しばらくして復興中の道路に入り、道が悪くなっていく。

ところどころに屋根が青い仮設住宅か見える。

今は減ったが、まだ住んでいる世帯はいるとの事。


そして、最初の見学地である光明村に到着。

俺は村人からバッシングを受ける覚悟だったが、みんな明るい。

それでも、スタッフの話によると被災直後はみんな絶望的だった。

家族を失った悲しみ、家のローンが残っていて収入がなく先が見えない。

その中で当時のボランティアが必死で瓦礫の山を片付けている姿を見て、少しずつ明るさを取り戻したらしい。

「瓦礫の山」って言ってるけど、写真や映像を見て、想像以上の「瓦礫の山」だった。


村人とスタッフが中国語で会話してるため、正直、話の内容は全く分からなかった。

スタッフによると、今後の政策について話したみたいだ。


お昼ご飯まで頂き、その席でかなり強いお酒まで頂いた。

そこでスタッフに唯一酒が強いことで褒められた。



光明村をあとにして、次は最も被害が大きかった北川県城を訪ねた。

人口3万人中、約1万5000人が亡くなり、未だに約5000人が行方不明(生き埋め)だそうだ。

町が山の谷間にあり、震災後、何次にもわたって土砂崩れが発生したためだ。


スタッフの話を聞く。

「あの土砂の下に学校があったんだ。」

「1階が半分埋まってるあの2階建ての建物、本当は5階立てだったんだ。」

「行方不明者を掘り出すのはもう不可能だ。」

俺には衝撃が大きすぎた。


普段はしないのだが、

墓石にお線香を灯した。


そして、勉強のため被災直後の映像を撮ったDVDを購入。

「覚悟を決めてから見てね。」とスタッフに言われる。


見る機会がなく、未だに見ていない。




12月6日

今度は別の国際NGOスタッフにお邪魔して中国の学生達と共に膨州にある学校を訪ねた。

成都よりバスで約3時間。

学校のまわりには仮設住宅が並んであり、こっちも建設中の建物が少しあった。


ここでの活動は子供達との触れあい。

学校に到着してしばらくすると、ぞろぞろと子供達が集まってきた。

学生達と共に、子供達とボール遊びなどの活動に参加した。

正直、疲れる。

あとから聞いた話によると、この村に住む子供達の約半数は震災で家族の誰かを亡くしているらしい。


ボール遊びのあとは、NGOスタッフによるミニライブ。

ギターやトランペット、タンバリン、見たことない弦楽器などで子供達と歌ったりなどした。

日本に帰ったら動画を見せます。


最後は子供達におもちゃや文房具などを配る。

これにはちょっと疑問が。

難しい話になるけど、子供にモノをあげるって言うのは紙一重な行為。

子供達にとっておもちゃや文房具は必要なモノなのは確かなのだけれども、

NGOが訪れる度にモノをあげていたら、子供達に変な知識を植えつけかねない。

現に過剰寄付によって、精神的にかわいそうな子供達を俺は見てきた。

寄付って行為は線引きが難しいんだな。

俺はこの村の子供達がその線を越えたように見えた。

俺の見間違いだったら良いんだけれども。


活動後は参加した学生みんなでご飯を食べる。

学生の中に何人か英語が話せる人がいたから、お互いの国について話し合ったりして楽しかった。


【四川大地震】

2008年5月12日14時28分に発生。

死者6万9197人、負傷者37万4176人、行方不明者1万8222人、全被災者4616万0865人。


震災から約1年半、復興は進んでいたけれど、未だにその爪あとを学ぶことが出来た。

震災によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


そして、今回の見学・参加を快く受け入れて下さったNPO・NGOスタッフの皆さん、ありがとうございました。



昨日の8日に楽しかった成都に別れを告げ、今はさらに極寒の西寧(せいねい/シーニン)ってところ。

移動はまたもや列車で硬座。

24時間耐え抜いた自分を褒めたい。

ここはイスラム教徒が多いから、立ち寄ってみた。

この旅で2ヶ月もイスラム国家にいたから、モスク(イスラム寺院)が懐かしい。

ここでは、チベット越えの準備をする予定。


久々のネパール、楽しみだー!!



ちなみに明日で日本出国半年記念日です♪



p.s.誰か俺のためにONE PIECEの0巻を手に入れて下さい。


小暮 和久 2009,12,9 Xi Ning

昆明

2009年11月21日 22:01

どーも、冬服を買いこんだWAKUです。


更新が遅くなってごめんなさい。

この3週間何もしてないからつまらない日記かも。


予定通り大理→麗江→香格里拉→昆明と巡ってきた。


【大理(だいり/ダーリー)】
標高:不明/少数民族: ペー族・ハニ族


11月5日に大理入り。

名前の通り、大理石で有名な所。


俺がいた所は「大理古城」という城跡。

城壁の中に町があった。

城壁の中の町は「千と千尋の神隠し」の世界。

キラキラととてもにぎやかだった。

伝統料理や伝統衣装、伝統舞踊を愉しんだ。

カメラがあれば…。


大理には2泊して、 麗江へ。




【麗江(れいこう/リージャン)】
標高:約2400m/少数民族: ナシ族・リス族・プミ族・ペー族・イ族


11月7日に麗江入り。

麗江でも、「麗江古城」という城跡に滞在した。

大理と変わらず、にきやかな所だった。

1996年の大地震で壊滅敵被害を受けたとは思えない。

カメラがあれば大理との違いがわかるんだが…。


ここは数日の滞在予定だったけど、友達ができて、ついつい長居をしてしまった。

元CAの中国人Mさん、税理士の中国人Hさん、そして日本人Tさん。

いろいろと面白い話が聞けたけど、中国抜けてから書くね♪

いつも4人で行動した。

中国人2人のお勧めレストラン行ったり、宿で映画見たり、テーブルゲームで遊んだりと楽しかった。


最終日には宿のスタッフの誕生日ということでお祝い!!

途中でカラオケ歌えって言われたけど、中国語…。

無理と言いながら、結局は歌った。


麗江には4泊して香格里拉へ。




【香格里拉】(シャングリラ)
標高:約3300m/少数民族:チベット族


11月12日に香格里拉入り。

香格里拉でも、城跡に滞在。

大理、麗江に比べて小さい城跡だから1時間で観光終了。

観光して気づいた。

ここは…

過激なこと書くと公安に捕まるから、別の言葉で言うと、「理想郷(ユートピア)」だ。


そして、寒い。

初雪が見れた。

一気に冬服を買い込む。

THE NORTH FACEのアウターが約3000円とか感動。


高山病とかも心配だったけど、全く問題なし。

本当にタフな男になった。


ここも数日のはずが、景洪(けいこう/ジンホン)で別れた日本人と再会したため、ついつい長居。

宿のスタッフとも仲良くなり、完全に沈没生活。

昼に起きて、日中はネット、晩ごはんはスタッフたちと鍋、夜は宿で映画。

そんな生活を5日間、繰り返した。


だが成都(せいと/チェンドゥー)、ラサ、ネパールで友達と会う約束があるから、何とかこの沈没生活に終止符を打つ。


それにしても、本当に居心地の良い宿だった。

ルアンパバーン以来の★★★★★宿だ。(WAKU的評価)



香格里拉には7泊して昆明へ。



【昆明(こんめい/クンミン)】
標高:約1900m/少数民族:多数


寝台バスに乗って、20日に昆明入り。

久々の低地!!

なのに…

極寒。

香格里拉より寒い。


ちなみに今日(21日)は最低気温0℃、最高気温4℃。

雪なのか霙(みぞれ)なのか雹(ひょう)なのか良く分からないものまで降ってる。


昆明はただの経由地なので明日(22日)には成都に移動。



あー、寒い。


p.s.成都でカメラを買って、次はもっと良い日記を書きます。ごめんなさい。


小暮 和久 2009,11,21 Kunming

景洪

2009年11月05日 19:32

どーも、中国入りしたWAKUです。

東南アジアが恋しい。



ルアンパバーンでは1週間、日本語教室で先生として通わせてもらってた。

生徒のほとんどはモン族。

子どもたちがマジかわいい。

その子供たちに毎日追いかけられた。


この日本語教室を開いたのが独学で日本語を勉強したBさん。

最初会ったとき、日本人と間違えたくらい日本語が上手く、日本人顔。

彼の生徒に対する熱意は素晴らしかった。


俺が泊まってたゲストハウスが日本人だらけだったから、みんな学校に誘った。

生徒たちも喜んでたし、誘った日本人たちも楽しそうだったから、誘った甲斐があった。


それにしても本当に日本人が多いゲストハウスだった。

1週間で30人くらい入れ替わったと思う。

地球の歩き方にも載ってるし、なによりもママさんが優しいからだろうな。



しかもルアンパバーンで驚きの出会いが!!

高校の先輩に会った!!

直接の面識はないけど、久々のジモトークで嬉しかった。

ハネムーンで世界一周してるんだって。

世界で、辻堂でまた会いたい夫婦だわ。

俺のハネムーンはグランドライン一周だな。



10月31日にルアンパバーンを出発して、ルアンナムターで1泊。

そして中国の景洪へ向かう。






11月2日、ラオスのパーミットが切れる日に中国入り。

ほとんど寝てたから、記憶が薄く、気づいたら景洪に着いてた。

クソ寒い。

東南アジアではないことを実感。


そしてバスを降りたら早速の洗礼。

英語が全く通じない。

数字ですら通じない始末。

この5ヶ月近く、ずっと英語で過ごしてきたからかなり混乱。


とりあえず、筆談。

漢字を知ってる日本人は得だわ。

筆談でコミュニケーションをとってるうちに、大学時代に勉強した中国語がよみがえってくる。

大学を辞めて8ヶ月。

初めて大学で得た知識が役に立った。


ただ、中国人は東南アジア人に比べて心が冷たい。

どの町行っても大都会だし。


そんな中、激安ぶっかけ飯屋の女の子たちは温かった。

筆談でしかコミュニケーションがとれない外国人に興味深々。

4食連続で通ってしまった。

「 你来这里泼水节吗?」 (水かけ祭にまたここに来る?)

って嬉しいこと書いてくれる。


彼女たちに会いにまた来たいわ、景洪。

彼女たちに出会わなかったら中国が嫌いになってたかもしれない。

筆談の楽しさと、温かい心を教えてくれた彼女たちに感謝だ。



そして昨夜景洪に別れを告げ、今朝大理に到着。

今は1泊約1200円と、この旅最高額のホテルに泊まっています。

明日にはチェックアウトだな。


これからの予定は、大理→麗江→香格裏拉→昆明→成都→九寨溝→ラサ。

中国では、少数民族巡りの旅。

日本から冬服持ってくれば良かった。


とりあえず、英語の全く通じない中国を楽しみます。



p.s. カメラを買うべきか、買わなくて良いのか、迷う。


小暮 和久 2009,11,5 Da Li


ただいま、この辺にいます!!
kakuuto

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