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カトマンズ

2010年02月11日 21:18

どーも、生きていたWAKUです。


明けましておめでとうございます。

そして、心配かけてすみませんでした。


12月23日にネパール入国。


国境のカダリからトラックの荷台に載せてもらい、首都カトマンズへ向かう。

ドライバーのCさん、めちゃくちゃ優しいのだが、ハンドルを握るとスピード狂に変身。

ガタガタのクネクネの山道を100km/h近いスピードで走る。

カーブで大型バスと正面衝突しそうになったときは、マジで笑えなかった。


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↑トラックの荷台から。更に顔が大きくなった気がする。

そんな感じで4時間、何度も振り落とされそうになりながらカトマンズ到着。



ここでは前回お世話になった「FUJI HOTEL」に泊まる。

みんな俺のこと覚えててくれてて、スペシャルディスカウントで部屋代を半額にしてくれた。


その夜はホテルのオーナーから火が点くほど強いお酒を頂き、同席していた日本人に気に入れられて晩ご飯に誘われた。

名前はTさん。

ネパールで活動する某NGO団体の一員らしく、国際協力とは何か?という話で盛り上がった。


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↑毎度お世話になってるタメル地区。


【今夜のお・か・ず】

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↑ダルバート(約120円)とモモ(約60円)

ダルバートはご飯・豆のスープ・漬物・カレー各種でマジうまい!!この値段でおかわり自由!!

モモはチベットの蒸し餃子でマジうまい!!




そして何もせずに1週間が過ぎ、大晦日。

悔しいけど日本人として育った俺、日本食レストランへ年越しそばを食べに行く。

そこで出会ったネパール人Iさんと仲良くなり、バーで飲むことに。


そして日本が新年を迎えて盛り上がってる頃、俺は風俗店にいた。

何件かバーをはしごして行き着いたところがそこだった。

流れても良いやと思っていたけど、やっぱり厳しく。

Iさんに「女を買うためにネパールに来たわけじゃない。」と告げると、案外素直に了解してくれ、別のバーに連れて行ってくれた。

きっとこれも彼なりの“おもてなし”だったのだろう。

何がともあれ、良い社会勉強になったのは確かだった。


次のバーでカウントダウンを向かえ、年越しの瞬間は思いっきり一人ジャンプ!!

特にジャンプをする理由はないけど、毎年やっていることだから突っ込まないでくれ。


そのバーでIさんと別れ、たまたま仲良くなったイギリス人2人と別のクラブで飲み、明け方ホテルに戻って就寝。



翌日の夕方に目を覚ますと、街中がやたらうるさい。

オーナー曰く、路上封鎖ライブをしているとのこと。

ということで、行ってみた。


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↑タメル地区が大フィーバー!!

なんとなく、そして頑張って前列へ進むと所々輪がある。

何だろうと思って近寄ると、輪の中でダンスをしているではないか!?

ということで、飛び込んでみた。

Breakin’に負い目を感じながら全力でLockin’とPopin’を披露すると、予想以上の大喝采!!

受け入れられた感じがめちゃくちゃ気持ち良かった。


そして年始はちょっくら観光。

映画「リトル・ブッダ」を見て以来、憧れているボダナートへ。

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↑世界最大のストゥーパ(仏塔)。ブッダのまなざしに、シビれます。


また帰ってくるからな!と誓ってから10ヶ月、本当に帰ってきてしまった。

ここで友達と騒いでた10ヶ月前の自分を思い出し、懐かしさを感じたと同時に少しさびしくなった。



※プライパシーの関係でセンター内の写真はアップしません。

そしてここカトマンズではHIV/AIDS関係の勉強をさせてもらった。

タメル地区からバスで北へ1時間のナランタンへ。

今回お世話になるNGOスタッフのAさんと待ち合わせをして、彼女のあとについていく。


まずHIV/AIDS感染者のケアセンター【Nava Kiran Plus】を訪ねた。

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↑日本の援助で建てられたものらしく、かなり立派。

ケアセンターの所長さんにセンター内を案内してもらう。

子供部門と大人部門があり、それぞれ別のプログラムを実施しているとのこと。

大人の場合、薬の飲み方などHIV/AIDSに関してしっかり教育を受けて3ヶ月くらいで卒院らしいが、

子供の場合、エイズ孤児もいるため増えていく一方だという。

ネパールにはHIV/AIDSケアセンターが多数存在し、卒院生が他のケアセンターで働くという「感染者が感染者を助ける」構想ができてるという話を聞いた。

というのも一般人による差別が存在するためらしい。

医者ですら差別するというし、HIV/AIDS専門の病院はネパール全土で2ヶ所しかないという話を聞いた。

一般人による偏見を改善するために学校やコミュニティなどへ出張プレゼンしに行ったりしているという。


Aさん曰く、現在ネパールでのHIV/AIDS感染者は推定7万人を超していて、増加傾向にあるらしい。

その原因としては、自分が感染者だとは知らずにSEXやドラッグを通して感染させてしまい、その感染した人がまた他の人へ感染させてしまい・・・とその繰り返し。

対策としてはコンドームの無料配布や注射針の無料交換を行ってるという。

SEXやドラッグを斡旋してると勘違いされないかと訊いたところ、やっぱり反対はあるらしい。

だけど、これ以上感染者を増やさないためにはこの方法が効果的だという。


みんな知らないだけで、日本でも爆発的に増えている。

自分は絶対ない。という保障は絶対ないという気持ちでいてほしい。

大切な人のためにも、検査することをお勧めします。


と、Aさんから忠告を受けた。

「大切な人かぁ・・・。」と、ため息をついてしまった。



次にドラッグ/アルコール中毒者のケアセンターである【Nava Kiran Alcholic Center】を訪ねる。

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↑ちょっと威圧感があった。


元ドラッグユーザーだった所長さんに話を伺う。


更生プログラムは3ヶ月。

珍しく密告・体罰ありのケアセンター。

いろんなところから反対されているらしいが、身体で覚えさせるのがこのセンターのポリシーらしい。

実際、話を聞いてるときですら説教による怒鳴り声が聞こえてくる。

厳しいケアセンターなので、やっぱり脱走者が絶えないらしい。

さらに残念なことに卒院生の約20%はまた大麻/ドラッグに手を出して帰ってくるという。

というのもネパールでは大麻/ドラッグがかなり安く簡単に手に入る。

俺もタメル地区で「ガンジャ、ハシシ買わないか」「チョコ、コカ、エル、エクスタシーいらないか」と何度も声をかけられた。


所長さんの話を聞いていて、面白いなと思ったことがあった。

大麻/ドラッグを辞めた日を第2の誕生日にして、みんなでその日を祝うらしい。

ちなみに所長さんは現在8歳だそうだ。

みんな長生きしてほしいと思った。



ケアセンターをあとにして、Aさんと食事。

そこである孤児院を紹介してもらって、翌日訪ねることに。



そして翌日、タメル地区の近くにあるネパール最大の孤児院【Barmandir Kinder Garden】を訪ねる。

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↑広すぎるからこれで勘弁。


〔1日目〕

ネパール名物のバンダ(ストライキ)に当たり、孤児院に人影無し。

〔2日目〕

幼稚園に日本人が働いてるという情報を得て、その日本人Uさんを訪ねるが忙しいみたいで「適当に園内を回ってて。」と言われる。

突然だから仕方ないかな。と思いながら園内を回ってるとやっぱり子供たちに囲まれ、戯れる。

Uさんに呼ばれないまま閉園時間になり、偶然Uさんと会い衝撃の一言。

「まだいたんだ。」

いまのは天然、いまのは天然・・・。と自分に言い聞かせる。

結局その日は話を聞くことができず。

〔3日目〕

Uさん見かけず、子供たちと追いかけっこ。

赤ちゃんルームで赤ちゃん泣かす。

そして園内にいたネパール人に声をかけられる。

カトマンズ市内の大学に通ってるR君、彼もここで育った卒園生の一人らしい。

R君に改めて園内を案内してもらい、自身の彼女まで紹介してもらった。

そしたら「明日うちに泊まりに来な!!」という。

ということで、ネパール最終夜の翌日に泊まりに行くことが決定。


ホテルに戻り、翌日にチェックアウトすることを告げるとホテルスタッフ全員が「Oh~~~!!」という返事。

24日間も滞在したからかなり仲良くなっていた。

俺もちょっと寂しかった。

ありがとう、FUJI HOTEL!!

〔4日目〕

バックパック背負って幼稚園へ。

いつものように子供たち囲まれ、追いかけられる。

遠慮のわからない小僧がいて、器物損壊・過失傷害・盗難とやりたい放題。

あまりにもひどいため、制裁を与えた。

【くすぐり限界突破の刑】

最初は喜んでたけど次第に苦しみだし、逃げようとするが逃がさず、ずっとくすぐり続けた。

結果、小僧が俺に近づくことはなくなった。

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↑子供たちにいじめられる俺。



そして結局、Uさんと1回も話ができずに幼稚園をあとにして、R君の家を訪ねる。

バックパック背負いながらギュウギュウ詰めの満員バスに揺られること1時間、ようやくたどり着く。


部屋に入った瞬間、ちょっと後悔した。

ギャングのアジトみたいなところで、俺は格好の獲物。

だが、時間が経つにつれ慣れてきて、みんな良い奴。

お酒と晩ご飯を頂きながら、おしゃべり。

みんな英語が話せるから嬉しい。

しばらくして「キメるか!?」とお誘い。

徹底拒否していたが、ケンカに発展。

家を出ようと思ったが、外は野犬が吠えてて出られない状態。

そしたら『業に入ったら、業に従えだろ!!』と言われ、返す言葉がない俺。

「一吸いだけだぞ!!」と言って、久々に吸ってしまった。

自分のポリシーを曲げてしまった。


「世界中の全人類の皆様、マジでごめんなさい。」



ずっと拒否してたから強い拒絶反応を起こし全身じん麻疹。

その発疹と俺のクソ不機嫌な顔を見て、言葉を失うみんな。

最悪の空気の中、その夜のパーティーが終了。


翌朝、のんびり起きて朝食。

一眠りすると全てリセットするのが俺の性格。

またみんなと楽しくおしゃべり。

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↑ネパールの悪友たちと。


「これもまた旅だ。」と開き直りながらも、昨夜のことを後悔。

「また0からスタートだ。」と自分に気合を入れる。

午後にはみんなに見送られながら、バスで空港に向かう。



そして旅の後半戦へ突入。

次回、サンジ以上に運が悪かったバングラデシュ編を書きます。

乞うご期待。



p.s.今週のONE PIECEには泣いてしまいました。


小暮 和久 2010,02,11 Kolkata
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ただいま、この辺にいます!!
kakuuto

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