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シェムリアップ

2009年09月19日 00:29

どーも、日本を出て100日を越えたこぐーです。


先ほどプノンペンに移動してきました。

今までの1週間はアンコール・ワットのあるシェムリアップにいました。

当初、アンコール・ワットは眼中にありませんでした。

遺跡に興味なんて無いし、観光スポットは嫌いだし。

何よりも入場料高いし。

でもシェムリアップ到着当日、トゥクトゥク(3輪バイク)のおっちゃんがやたらアンコール・ワットを推してくる。

俺: 興味ないから行かない。

おっちゃん: いや、行け!!

俺: 何であんたに命令されなきゃ行けねえんだよ!!とりあえず、○○ゲストハウスに行きたい。

おっちゃん: そこは町から遠いところにあるから、別のゲストハウスを紹介するよ。その跡に、アンコール・ワットに行こう!!

俺: 俺の注文は○○ゲストハウス、アンコール・ワットは行かない。

…1時間ほど格闘…。

結局、○○ゲストハウスに行けず、翌日アンコール・ワットに行くことに。

ミャンマーで仲良くなったお坊さんが「アンコール・ワットは行く価値がある」と言ってたのを思い出してOKをした。

翌日、6時間連れ回されたが個人的には予想通り、遺跡に対して感動の「か」の字も出なかった。

それよりも、物売りの子供たちとサッカーして遊んだり、コースを外れて村みたいなところにいる人たちとおしゃべりしたことの方がよっぽど楽しかった。

二度と観光スポットなんて行くか!!って改めて思ったアンコール・ワット観光だった。




その後は、興味のある日本語学校(山本日本語教育センター)に足を運んだ。

クメール人(カンボジア人)の美人先生に見学のお願いをする。

あっさりOK。

むしろ手伝ってほしいと頼まれた。

即OK。

翌日からその日本語学校でお世話になることに。

その夜はよくわからないが、さっきのトゥクトゥクのおっちゃんと酒を飲むことに。

おっちゃんの友達も集まり、カンボジアの地酒初体験。

ゲロ不味。というか臭い。

日本酒の炭酸水割りに煮干しをを入れたような味。

しかも10分に1回のペースで一気飲み。

彼ら曰くカンボジアスタイルらしい。

彼らが先に酔い出したが、そこからの粘りがすごく、最終的に惨敗。

何とかゲストハウスに戻って、とりあえず部屋で横になる。

ふと気づくとバスルームで寝てた。

しかも学校に遅刻寸前。

見学をお願いした側が初日から遅刻かますなんてありえない。

頭がズキズキ痛む中、慌てながら支度して、バイクタクシー超特急で学校へ。

何とか間に合い、授業見学。

自己紹介の後に、生徒たちからの質問ターイム!!

過去最長の1時間。

先生も質問してくる。

いろんな質問が飛び交うが、どこの国に行っても必ず聞かれるのが

「結婚してますか?」

『いいえ、結婚してません』

「いつ結婚しますか?」

のパターンだ。

ちょっと興味深いよね。

日本じゃ20歳の人に聞かないもんね。

俺はいつも「早く結婚したい」って答えてるけどね。

質問タイムの後は通常授業。

休み時間は生徒たちとおしゃべり。

お昼ご飯まで頂く。

美人先生からいろいろ話を聞く。

この学校はカリキュラムは本当に素晴らしい。

3ヶ月:日本語の基礎→6ヶ月:旅行会社に研修→1年:実用的な日本語→就職

しかも無料。

放課後は生徒に「子供の家」に行かないか?と誘われついて行くことに。

本当に子供が多かった。

総生徒数は1500人を超えるらしい。

NGO団体が建てた小学校らしく、授業料無料。

ここでは日本語教室と英語教室のお手伝いをすることに。

子供たちは恥ずかしがっているのか、質問タイムは5分で終了。

授業では本を読んだり、会話練習の相手をしたり、先生のサポートしたりetc…。

子供と触れ合うのってマジ楽しい。

それからは日本語学校の後は子供の家という生活を3日ほどしました。

最終日に子供の家の先生と“あの地酒”飲む。

我慢する。

先生が身の上話を始める。

家族がいないらしい。

捨て子?死に別れ?家出?

いろいろ頭の中で可能性を考えてから、先生に質問しようと思った。

リアルな勉強のために聞きたかった。

できなかった。

なんて聞けば良いのかわからなかった。

傷つけることを恐れたわけじゃない。

本当にわからなかった。

うやむやな気持ちで彼とお別れ。

彼の将来が気に引っかかる。


翌日は1日中のんびり。

ネットでONE PIECEを読む。

今、やばいな!!大戦争やん!!


そして今日、プノンペンに移動してきました。

明日、近くの孤児院に行く予定です。


p.s.どこで誕生日迎えようかな?やっぱ海?


小暮 和久 2009,09,18 phnom penh

ヤンゴン

2009年09月10日 18:54

どーも、ブログの更新を催促されたこぐーです。

昨日ミャンマーからタイに戻りました。

さて、ミャンマーでの濃い1ヶ月を書きます。

初日、銀行で両替をしようとしたら突然「日本人ですか?」と声をかけられ、警戒心MAXの俺。

しかし日本人ということが分かり、すぐ打ち解ける。

ミャンマーで12年間お仕事をしている沖縄出身のKさん。

そしてその夜は彼と飲む。

そしたら気に入られて「ずっとうちに泊まったら良いよ。」と言われて居候することに。

シングルでトイレ・シャワー/エアコン/3食付という、この旅で一番豪華。

同居している韓国人のこれまたKさんとも仲良くなり、3人でミャンマー政治や、第二次世界大戦、ビジネス、マネージメントなどかなり熱い話ができた居候生活1日目だった。

さらにボランティアまで紹介してくれて土曜・日曜は僧院で日本語教室のアシスタントをすることに。

平日は興味のある国際NGOを訪問してお話を聞きまわってました。

しかしどこも見学許可が降りない。

情勢が不安定だし、移動に政府の許可証が必要で、仕事の負担になるからだと思うけど、かなり悔しかった。

空いた時間は観光がてら町を散歩したり、ミャンマー人の友達の家(スラム街)に遊びに行ったり、家でゴロゴロしたり、仏教大学にいる日本人のお坊さんに会ったり、完全にミャンマー人生活でした。

毎晩飲んで語って、たまに出合った日本人を連れて飲んだり、1回近所の人を招いて日本食パーティーをやったりと、とても楽しい毎日だった。

僧院で仲良くなった生徒が日本語学校で先生をやってるということでその日本語学校KAGAYAKIでもお世話になることに。

ちなみに生徒でありながら先生でもある彼の名前もKさん。

そしてKAGAYAKIで日本人の先生と出会う。

大学院を休学してミャンマーで日本語を教えてるというSさん。

彼とは歳が近いからか、かなり仲良くなる。

ミャンマー人のKさんに植林ボランティアに誘われSさんと一緒に参加することに。

植林ボランティア団体MJETの会長が東京大学の教授らしく、日本から学生や院生も20人くらい参加しているらしい。

植林ボランティアの舞台はミャンマー中北部のバガン。

元サッカー日本代表の中田英寿もここで木を植えたらしい。

俺とSさんはバスで15時間かけて現地合流。

緊急参加の俺たち2人を受け入れてくれた会長Fさんに感謝。

日本から来ている学生や院生たちとも仲良くなる。

そして2日間植林しまくり。

穴を掘っては、小さな木をどんどん植えていく。

これがマジしんどい。

乾燥地帯の炎天下の中、「あつい」と言ったら1回ごとに1ドルMJETに寄付という禁句ゲームにも参加してたから、精神的にもしんどい。

結局2日間で9ドル寄付。

俺が一番多く払ったらしい。

昼休みには現地の人たちとサッカー国際マッチ。

2日間で0勝1敗1分。

こっちの方がもっとしんどかった。

午後も強烈な直射日光の中、みんな倒れそうになりながらも頑張って木を丁寧に植えていく。

現地の子供たちも手伝ってくれて、休憩時間はその子たちに追いかけられる。

会長のFさんに植え方が悪いとダメ出しを受けながらも、2日間で800本の植林を達成。

その夜はみんなで夕食。

ジョニー・ウォーカーをあおる。

もちろん常温。

そしてダイニング横のプールにみんなでダイブ。

1時間くらい練習して3段矢倉にも成功。

マジ楽しくて、しんどいボランティアだった。

そして小暮和久はバガンで落ちそうになりました。

今まで色んな国でいろんなかわいい人に会って来たけど、彼女はマジでかわいい。

しかしチキン小暮は何もアクションを起こせず撃沈。

恋敵のY君には「このシャイボーイが!!」って言われちゃったし。

世界に出る勇気があっても、意識すると動く勇気がなくなる俺。

この旅でかなりタフになったけど、全く変わらないところがあることを実感。

その夜はシャワーも入らず爆睡。

そして次の朝、大変なことに気付く。

俺の現金50,000kyat(5,000円)がない。

騒ぎ過ぎて落としたくさい。

かなり焦って探したけど見つからない。

切羽詰って自分で自分に放った言葉。

「ドンマイ」

開き直ってバガンを楽しんでました。

かなりひもじい生活だったけど。

お金落とすなら、こころ落とせばよかったと本気で後悔。

バガンでは他に散々なアンラッキーに遭遇したけど、メチャメチャ楽しかった。

ありがとうバガン!!また行くぞ!!

そしてヤンゴンに戻ってタイに戻る準備。

みんなにお別れを告げにお世話になった僧院へ。

そしたら特に仲が良かった生徒たちが仕事を休んで最後の観光ガイドをしてくれた。

仏教大学にいるお坊さんにも挨拶しに行ったら、タカに木が入っているお守りをくれた。

KAGAYAKIの日本人のSさん、ミャンマー人のKさん先生たちともお別れ。

居候させてくれたKさんとはタイで会うが、とりあえずお別れ。

いつでも別れはマジでマジでマジでつらい。

出会いと別れ。

泣くのをこらえながら、いつまでも窓の外を見ながら、飛行機でタイへ。

どういう言葉で表現したら良いのかわからないけど、

ミャンマーは変わってほしいけど、変わってほしくない。

軍事政権で閉鎖的な国だから、お金はほぼ全部お上に流れて国民は“経済的”に貧しい。

だけどその中で人々は純粋な心を持っていてとても優しく生き生きしてて“精神的”に豊か。

民主政権に移行してほしいけど、そうなったら資本主義が流れ込んできて人々の心が貧しくなるんじゃないかと考えてしまう。

考えすぎだと良いけどね。

ほんとにミャンマーに行って良かった。

いろんな勉強ができた。

いろんな人たちに出会えた。

ミャンマー大好きだ!!またみんな会おう!!

チェーズーティンバーデー ミャンマー!!


今日はタイで休養して、明日カンボジアへ向かいます。


p.s.ONE PIECE読みたい。



小暮和久 2009,09,10 Bangkok

バンコク

2009年08月18日 21:50

どーも、しぶとく生きているこぐーです。

8月13日にミャンマーへ移動してきました。


さて、バンコクでの2週間を書こうと思います。

タイではボランティアをしないと決めていたので、ボランティアはしてません。

じゃあ、2週間なにをしてたか?

飲んで、遊んでの毎日でした。

バンコクに到着したその日に同じ宿の人たち(みんな日本人)に誘われて、タイの若者が集まるクラブに行ってきました。

外国人は僕たちだけ。

飲んで、踊って、騒いでみんなと一気に仲良くなる。

ウイスキー常温ストレートで飲む俺にみんなビックリしてたけど。

その中に同い年で共通の友達がいるっていう女の子がいて、世間の狭さを実感。

大学休学して世界一周女一人旅をしてるんだって。

かっちょい~ね♪

2日目も同じクラブに遊びに行ってきました。

もちろん外国人は僕たちだけ。

昨日同様、飲んでは騒いぎました。

タイの女の子と踊ったり、一気勝負したり、完全に楽しんでました。

そして3日目。

みんな喉が焼けて、抜け殻状態。

次の日に宿泊客の半数がチェックアウトするということで、ゆっくり送別会をすることに。

が、どこで狂ったのか、いや、定めなのか、もうお祭り状態。

15人部屋のドミトリーを完全ジャックして15人で乾杯。

年も、性別も、出身も違う15人が出会って間もないのにあれだけ楽しめるって奇跡だね。

日本では巡り会わない15人がタイのバンコクで巡り会った「さくらの奇跡」。

一期一会って素晴らしい。

出会いに感謝。


そして気づいたら酔い潰れてました。

あとあと話を聞いたら、俺一人でウイスキーストレートを1ボトル(700ml)以上飲んでたらしい。

そりゃ潰れるわ!!

お祭りの翌日は完全に2日酔い。

みんなのお見送りもできず、ほぼ1日中撃沈。

次の日の5日目は体調不良の中、頑張ってミャンマーのビザ申請とチケット手配。

その日以降は沈没生活。

昼はマンガ、夜は酒。

たまに、ゴー・ゴー・バーに遊びに行ってニューハーフと戯れた。

ニューハーフって言っても“アレ”もなくて見た目可愛い女の子。

ちなみに買ってないよ。

ゴー・ゴー・ボーイズにも行ったけど、エグかった。

一緒に行った女の子は楽しそうだったけど。

もちろんこっちも買ってないよ。

チェックアウトした人たちも数日後に帰ってきて再会を喜ぶ。

さくらハウスには長かったからみんなから「長老」とか「主」って呼ばれてました。

そしてタイ出国前日。

友達の20歳の誕生日ということで、ケーキをその友達の顔に投げてお祝い!!

めっちゃ喜んでた。


そしてタイ出国当日。

みんながタクシーまで見送りに来てくれて、お別れ。

タクシーの中で何度も泣きそうになった。


みんなと出会えてみんなに感謝!!

いつか絶対会おう!!

we are さくら family!!

コープンカップ タイランド!!


そして、この旅で乗りたかったエア・アジアに乗ってミャンマーに飛んできました。

この国の第一印象は「不思議」。

今は、こっちでたまたま知り合った人のお家で居候させてもらってます。

ボランティアも見つかり、とりあえず順調。

詳しくは次回の日記で書きます。


あ、あと、8月23日にバンコクへ戻る予定だったけど、ミャンマーにハマってしまいました。

ビザ滞在可能期間ギリギリの9月9日にバンコクへ戻ろうと思っています。

バンコクで会う約束をしたR.I君、ごめんなさい。


それでは、未知の国ミャンマーを楽しんできます。

また更新します。




小暮 和久  2009.8.18 Yangon

コタ・バル

2009年08月01日 18:59

どーも、先ほど憧れだったマレー鉄道に乗ってバンコク入りしたこぐーです。

コタバルでは突然、原因不明の高熱、頭痛、寒気に襲われ1週間ダウンしてました。

海外旅行保険に入ってないから病院にも行けず、マラリアとかデング熱とかだったらヤバイなーと思いながら一人で苦しんでましたが、薬局で1番強い解熱剤を飲んだらすぐに回復してひと安心。

副作用もすごく強かったけど。

そして、コタバルでもJICAのお世話になってました。

クランタン州内のPDK(障害者施設)を巡回している女性隊員3人方に同伴して見学とお手伝いをさせてもらいました

1日目は隊員のDさんにお供して緊張しながらPDKを訪問。

子供の多さに驚きながらも、彼らのかわいさに緊張の糸がほぐれる。

最初は彼らとの接し方に戸惑うが、慣れてくると結構楽しい。

8月に日系商社イオングループ(ジャスコとか)の協力でPDKの生徒たちの描いた絵がマレーシア国内で展示されるということで、この日のアクティビティーはお絵描きだった。

ということで、お絵描きのお手伝いをさせてもらった。

みんな画用紙にそれぞれの絵を描いているが、「家」を描く子供が圧倒的に多いのはなぜだろう?

子供たちにあちこち引っ張られ、彼らの描いた絵を見て回る。

そしてこのPDKで驚いたことがあった。

彼らが自らの提案で、PDKの前にドリンクとかお菓子を売る売店を出していた。

障害を持っているということを忘れるくらい、彼らは自立してた。

自分の何かが崩れ、急に自分自身が恥ずかしくなった。


2日目は別の隊員のHさんにお供して別のPDKを訪問。

ここでも彼らのかわいさに、自分の顔がニコニコしてしまう。

この日のアクティビティーもお絵描きだった。

前日と同じようにお手伝い。

しかし、子供たちの中には画用紙を捨てたり、ペンをどっかに投げたりして手に負えない子もいる。

その時はお絵描きは諦めて、好きなことをさせた。

PDKでは基本的にお絵描きはせず塗り絵が中心。

だから子供たちが白い画用紙に絵を描くなんて無理だというネガティブなワーカーさん(PDKで働いている人)もいたようだ。

子供たちの絵を見て回りながら、ふと気付く。

3人いるワーカーさんがいない。

探すと3人とも別室でおしゃべり。

何でボランティアのHさんと俺がせっせと働いて、お金を貰っているあんたたちがサボってるんだと思いながらも何も言えず、子供たちのもとへ戻る。

俺とHさんがいなかったらと思うと、子供たちがかわいそうに思えた。


3日目は前々日にお世話になったDさんにお供して、様々な事情でPDK来れない子供たちのための週1回の家庭訪問を見学させてもらった。

5軒くらい回り、いろいろとリアルな一面を感じることができた。

子供たちにとって週に1回じゃ物足りないだろうなと思った。


各活動の後は隊員さんのお勧めの屋台でご飯を食べたり、面白い話が聞けたりと、楽しく学べた3日間だった。

協力隊員のDさん、Hさん、Sさん、大変お世話になりました。ありがとうございました。



そして26時間かけて、コタバルからバンコクへ移動してきました。

初の陸路国境越え。

川のこっちはマレーシア、むこうはタイ。

橋を渡ってタイ入国手続きをしようとしたら、マレーシアの出国手続きをして来いと言われ、また橋を渡ってマレーシアへ。

出国手続きをしてまた橋を渡ってタイへ。

マレーシア、タイ間を行ったり来たりで国境って感じが全くしなかった。

入国手続きを済ませ、人に聞きながら駅を目指す。

途中でライフルを抱える軍人と何回もすれ違う。

さすが危険地帯。

駅で会ったタイ人のおばちゃんもバンコクに行くらしく、チケットを買ってくれる。

なんとタダ。

マレー鉄道がタダなんてあり得ないと思いながら、おばちゃんについて行く。

ゴチゴチに硬い3等席で、またもや外国人は俺一人。

列車が動き出す。

揺れる、揺れる。脱線したんじゃないかって思うくらい揺れる。

おばちゃんにお昼ご飯をご馳走になり、山を越え、川を越え、森を抜け、草原を猛スピードで走り抜ける。

途中でIDチェックがあり、パスポートを見せると、タイ人はタダだけど、外国人はお金を払うんだよと車掌さんから説明を受ける。

それでも約1000円。

おばちゃんがすごく謝って来る。

気にしてないから大丈夫だよと言っても謝って来る。

気まずい雰囲気に。

それでも列車は走る。夜通し走る。

「深夜特急」だ。と思いながら狭いシートの上で眠りにつく。

朝起きるとおばちゃんがいない。

どっかで降りたらしい。

ありがとうと言えなかったのがとても悔しい。

1時間遅れでバンコクに着き、今は聖地カオサンロードにある、日本人バックパッカーなら誰もが知っている「さくらハウス」にいます。

今後の予定は、ビザとチケットが取れ次第ミャンマーに飛ぼうと思っています。

あと、最新情報です。

「陸路入国の場合」
先月から日本人がタイでのノービザ可能滞在日数が30日間から15日間に変更になったので旅行する方はビザに注意してください。


あー、ケツが痛い。


小暮 和久 2009,8,1 bangkok

クアラルンプール

2009年07月17日 17:15

どーも、まだクアラルンプールにいるこぐーです。

あれから日本大使館に通ったにも関わらず情報を得られず、無駄な一週間を過ごしてました。

このままでは日本を出た意味が無い!!

そう思い、ダメ元で思い切ってJICA(国際協力機構 )に電話しました。

そしたら会うアポが取れて
JICAってどんな活動をしているのか?
マレーシアにおける国際協力って何?
協力隊員ってどんな方々なのか?
って感じでプロフェッショナルな方々から話を聞いてました。

現場見学がしたいという無理なお願いにもOKしてもらって、昨日現場見学してきました。

現場は郊外にある国立障害者職業訓練所。
-PUSAT LATIHAN PERINDUSTRIAN DAN PEMULIHAN BANGI-
(http://www.jkm.gov.my)

まず驚いたのがその広さと立派さ。
グランドや体育館、寮まであった。
しかも無料。

協力隊員のWさんに訓練所内を案内してもらいながらいろいろと説明をしてもらいました。

本音や裏話までぶっちゃけトーク炸裂で勉強になった。

また、Wさんの日本語教室にも飛び入り参加して交流会みたいな感じで 貴重な体験も出来た。

訓練生たちもとても明くて楽しい見学だった 。

Wさんとは晩ご飯も一緒になり国際協力という枠を超えて面白い話もたくさん聞けた。

マレーシア政府がここまで立派な訓練所を建てたにも関わらず、民間企業の障害者の受け入れが乏しいという話しを聞いた。

訓練生たちは毎日頑張って技術を身につけているのに、卒業証書を手に入れても就職できないというのが現実。

自分に何かできる事はないかと考えたけど 、答えが出てこない。

でもこの見学を通じて刺激を受けた。
訓練生たちにも良い刺激になったとWさんが言った時、これだ!!と思った。

『何かをする』のではなくて『理解する』 ことが大切だと気づいた。

お互いを理解することが共生の第一歩なんだと。

このブログもみんなが『理解する』きっかけになれば俺も世界に貢献できでいるんじゃないかなと思います。

現場見学をさせて頂いたWさん、情報提供して頂いたMさん、本当にありがとうございました!!

来週は紹介して頂いた福祉施設を見学しにコタバルへ向かいます。

日本を飛び出た学生はしっかりと勉強しています。

p.s.朝起きたら欧米人が隣りのベッドでSEXしてました。


小暮 和久 2009, 7, 17 kuala lumpur


ただいま、この辺にいます!!
kakuuto

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